スペイン語通訳・翻訳 スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在 27 年を経て、2015 年に帰国...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在 27 年を経て、2015 年に帰国。
金沢市の北國外国語カレッジを中心に、スペインの生活とスペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでつながりながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとして、ますます活動の幅を広げていくべく、挑戦中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

暑い夏ですね。32 度だと「涼しいね」という挨拶の今日この頃ですが、冬の豪雪といい、夏の酷暑といい、かなり地球温暖化が深刻になっている、ということなのでしょうか? 小学生が熱中症でお亡くなりになりましたが、心配事は減りませんね。確かに、スペインの子供達の夏季休暇は、驚くほど長く、三ヶ月の夏休みの後、習ったことを覚えていられるんだろうか、と疑問になることもありますが、ちょうど酷暑となる夏至から三ヶ月、つまり、6 月 22 日頃から 9 月 15 日までがお休みになるのは、理にかなっているとも言えるのでしょうか? まだ日本の子供達の夏休みは短いですが、これから教室などの気温調整を含めた環境整理が整っていけばいいな、と思っています。皆さんは水分補給は足りていますか? さて、今日は、自身の就業体験を含め、バルセロナでお仕事をする、と言うお話をしましょう。

終身雇用? いえいえ、突然解雇で、はい、おしまい

スペインに 27 年、と一概に言っても、ずっと同じ仕事をしていたわけではありません。滞在中に色々なスキルを学び、職種も変わって行ったので、様々な雇用形態でお仕事をしてきました。そこで、日本とはまったく違う、労働者の立ち位置というものを説明してみましょう。

 

「スペインの失業率が高いのですが、スペイン人は仕事をしないのですか」と問われることがあります。確かに、スペインは 17.23% で世界 8 位にランクインです。同じ時期には、日本は 2.88% で 99 位です。

<出典>IMF – World Economic Outlook Databases (2018年4月版)

入社当時のアート部門の同僚たちと

日本に戻り 3 年で、パート、アルバイトなどをいくつか経験しましたが、「あ、スペインには無いシステムだわ」と感じました。スペインで仕事をすると、必ず「法律で効力の成す契約書」というものが交わされます。それが、二日間のアルバイトのようなお仕事であっても、です。バルセロナで 1 日数時間契約でお仕事をしたときには、それが日本のパート以下の就業時間であっても、社会保障(健康保険と年金)は必ず払われていたことを記憶しています。夏と冬には規定通りにボーナス(paga doble(パガ・ドブレ)=ダブルの給与=ボーナス)がきちんと振り込まれてきましたし、病気や怪我での入院で数週間仕事を離れても、給与はきちんと社会保障の中から支払われてきました。

日本のパートやアルバイトのように、労働時間のみの給料しか出ず、病気や怪我でやむなく休むと無休、という形態は考えられないわけです。保障が無いバイトやパートを失業率の計算に入れるか否か、というのが、この失業率の数字に反映しているのでは、と思わざるを得ません。

Fotogramas の年刊誌「Anuario」の DTP は画像リタッチを含め、 筆者の一年を通しての仕事だった

私がマイコンピューターを持ったのが 30 歳。Apple と出合い、その後 DTP オペレーターのスキルを得る機会にも恵まれ、当時主に使われていた QuarkXPress や Photoshop などを扱えるようになっていました。そこで紹介いただき、無事に入社できたのが、スペインで最も古い映画雑誌、Fotogramas(フォトグラマス)を始め、Qué leer(ケ・レエール)、Clio(クリオ)という月刊誌を発行していた会社です。

仕事内容は、写真のリタッチを含めてページ割りをする、というものでした。もちろん、契約書も交わされ、正社員という扱いです。

スペインには「入社式」がありません。新入社員が一斉に同時期に雇われるという慣習がないからです。私の雇用のきっかけは、2005 年 5 月末に「Fotogramas を発行している会社に DTP オペレーターの空きが出るんだけれど、興味ある?  話を通しておくわよ」という連絡をもらったからです。もちろん「¡Sí!(シー = はい)。ありがたいことに会社は徒歩 15 分以内という、素晴らしい立地条件。アートディレクターと面接し、総務・人事部のイサベルにメールを書き、契約に必要なデータ(マイナンバー、年金保険番号、住所など)を送り、「美保子、あなたの入社は 8 月 1 日から。私は夏休みで三週間不在だけれど、契約書はデスクに用意しておくわ。サインして同僚に渡しておいて。じゃ、8 月 22 日に会うのを楽しみにしているわ」という返事をもらいました。そうです。イサベルとはメールでしかコンタクトを取ったことがなく、それでもそのメールがとても楽しいものだったというので、会わずしてこの先の親友となるのです。人間の縁とはわからないものです。

さて、契約ですが、いきなり「永久契約」となっておりました。普通は、半年、一年といった短い契約の後、契約切れに再契約を結ぶものなのですが、さすがに大企業は違います。年棒制で、ボーナスは夏と冬の二回、それぞれ一ヶ月分、有給休暇は 4 週間前後(初年は 10 日ぐらいでしたが)、年に 2 日の私用有給休暇も認められていて、週 37 時間の契約。月から木は 9 時から 18 時。金は 9 時から 14 時。夏場(6 月から 9 月)の 4 ヶ月間は 8 時から 15 時就労という、夢のような待遇でした。締め切りの週のみ残業があり、その残業も最初は給料に反映、その後会社が吸収合併になり、本社がマドリードとなったため、上からの指示で残業分を休暇として休むシステムになりました。

休憩中か、仕事中か? いつも笑いの絶えない社内

そんな安泰なお仕事が 3 年ほど続いた折、有名なリーマンショックがくるわけです。一般の人の生活には「リーマン何?」というものですが、その余波は少しずつ企業の方に流れてきて、まずはバルセロナにあった総務・人事部が閉鎖され、マドリードで一括管理ということになり、イサベル始め、多数の同僚が職を失うことになったのです。そして Fotogramas 以外の雑誌はそれに携わっていた従業員共々別会社に売られることになります。その時、当初 43 人いた社員が、20 人弱になっていました。俗にいう、リストラです。

毎年アカデミー賞の授賞式は、会社に集まり、徹夜で速報を編集し、 特集を組み、締切日として印刷所に回す。なんだか半分遊びのような…

筆者にリストラの波が来たのが 2010 年初め。二階にある営業部と一階にある編集部からそれぞれ一名がリストラされ、5 年弱の会社生活が終わるのです。この時の解雇の待遇が、契約書のものより優っていたため、黙って小切手を受け取り、会社を去ったわけです。5 年の就業に一ヶ月の給与を掛けたものと、退職金、消化していない有給などが計算され、年収に近い額が提示されたのです。

 

歴史ある映画雑誌は今年で 71 年を迎えました。そして、とうとう、他の同僚たちにも失業の日がやって来たのです。

もちろん、遊ぶ時は、真面目に遊びます。サッカーの試合

バルセロナで生まれた映画雑誌は、私が入社した後、二つの多国籍会社によって順に買収され、この最後の企業により、Fotogramas はマドリードで作成する、という通達が出されたのです。「さて、バルセロナの編集部の皆さん。来月からこの Fotogramas はマドリードで編集・作成します。来月にはマドリードに出社していただきたく、みなさんのデスクを用意してお待ちしております」というものだったそうです。

マドリードとバルセロナは、直線距離にして 500km ほど。道路だと 610km ほどで、新幹線 AVE(アヴェ)だと 3 時間弱。高速を使っても 6 時間ほどの距離です。「単身赴任」というシステムは定着しておらず、まして子育て中であったり、老いた両親を抱えて、バルセロナを離れることのできる人は一人もおらず、会社からのオファーは会社側の思惑通り、全員がマドリードに出勤できないことになり、バルセロナの編集部はマドリードに移転、つまり、実質的にはバルセロナ編集部を全て解雇した形となったのです。

編集長は、創設者の娘から、孫へと引き継がれた。 歴史ある 60 周年を過ぎた頃の記念日

リストラされて 8 年、それでも毎年バルセロナに行くと必ず訪れていた古巣のオフィスにはもう行くことができず、ふるさとが一つ減ってしまい悲しいです。ただ、メンバーの中にただ一人、労働組合の幹部をしている同僚がいて、彼だけは「解雇」できなかったため、現在、バルセロナの閑散としたオフィスで、一人原稿を書いているとのことです。

 

そして、六月末に最後のバルセロナからの出版物を印刷所に入稿したのですが、出版された最終号には以下の 3 ページが欠けていた、と。

本社は、バルセロナの編集部員たちが読者に向けた「Adiós (アディオス=さようなら)と Gracias(グラシアス=ありがとう)」の言葉さえ本誌に掲載してくれなかった、という、ちょっと信じがたいことが起きました。

入稿されたが、印刷所で外された三ページ。バルセロナ編集部から読者への感謝とサヨナラの言葉が書かれていたのだが

全国版となった、バルセロナの老舗映画雑誌マドリード移転のニュース。

https://elpais.com/cultura/2018/07/02/actualidad/1530568005_083081.html?id_externo_rsoc=FB_CC

元同僚が明かす、事の顛末。

https://www.facebook.com/antonio.iturbe.16/posts/1216059138530551

 

ということで、8 月号は背筋の寒くなる「突然解雇」の話で涼を取っていただきました。

 

¡Qué lástima! ¡Qué pena! (ケ・ラスティマ!  ケ・ペナ!  どちらも「ああ、残念!」の意)

 

でも、元気を出して、¡Nos veremos el próximo mes! (ノス ベレモス エル プロキシモ メス)

来月、お会いしましょう!   という意味。