株式会社オーパス・スリー 代表取締役

岡本 浩和

株式会社オーパス・スリー 代表取締役
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株式会社オーパス・スリー 代表取締役
キャリアコンサルタント
米国CCE, Inc.認定GCDF-Japan キャリア・カウンセラー
http://opus-3.net/

1964年 滋賀県生まれ
1988年 早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修卒業
卒業と同時に株式会社NHKプロモーション入社。音楽イベントなどのプロデュース業に携わりながら、一方で人間教育分野にも強い興味を抱くようになる。
1991年 ベンチャー系人材開発、教育会社に転職
以後2007年1月まで16年間にわたり大学生の就職支援、若手社会人のためのリーダーシップ研修、ストレ ス・マネジメント研修、コミュニケーション研修など500回以上のセミナーのファシリテーション業務を通じ、延べ10,000人に及ぶ個人カウンセリング を経験。
2007年 独立とともにOpus3(オーパス・スリー)創業
2009年 株式会社オーパス・スリー設立、代表取締役に就任
法人向けの新人研修やマネージャー研修、独自の組織活性研修などの企画運営&講師として活動す るほか、首都圏の大学にて「キャリアデザイン」の講義を担当。また、個人を対象に「ワークショップZERO(東京&名古屋)」を主宰、日々「人間教育」に 情熱を傾けている。

ワークショップZEROはこちら
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早わかりクラシック音楽講座はこちら
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Blog :岡本浩和の「人間力」発見日記
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アレグロ・コン・ブリオ~第6章
http://classic.opus-3.net/blog/

音楽は人生を豊かにします。

 特に、何百年という歴史をもつクラシック音楽の魅力は、関わり方が能動的であれ受動的であれ、私たちの感性を磨き、記憶力を助長し、その結果、私たちに全脳的に生きるきっかけをもたらしてくれるところにあるのです。



 長年人材育成に携わってきて私が思うのは、数多の研修やワークショップなどに参加し、自らにスキルアップや鍛錬の機会を課すことと同時に、日常生活の中でいかに人間力を高めるかを考え、どう実践するかが大事だということです。しかしながら、忙しい現代社会の中で、私たちは日々仕事や生活に追われ、なかなか自らを振り返り、心を癒す機会を持つことは意外に困難だと思われます。

そのような状況の中で、人間性を磨き、心を癒し、豊かにしてくれる一つのツールが音楽であり、中でもクラシック音楽であるといつしか私は考えるようになりました。気軽にクラシック音楽を聴き、楽しむこと。そういう時間を少しでも日常に導入することにより、どれだけ幸せな気持ちになれるか。

 

クラシック音楽は決して堅苦しいものでもなければ、難しいものでもありません。作曲家の生い立ちやエピソードを知り、また、その音楽が創造された時代背景を知ることで、日頃何気なく聴いていた音楽が一層身近なものになることでしょう。ひとりでも多くの方々にクラシック音楽の魅力を知っていただきたい、そしてまた、聴く楽しさを知っていただきたいと思い、コラムの筆を執らせていただきました。

古今東西どの分野にも人間離れした、天才といわれる人たちがいます。彼らはモノを生み出すことに長け、あるいは記録を伸ばすことに長じています。果たしてそれはただ才能からのみ発せられるものなのでしょうか?

 

昨年(2017 年)のベスト・セラーにアンジェラ・ダックワース著/神崎朗子訳「GRIT−やり抜く力」(ダイヤモンド社)という書籍があります。ここでは、ハーバード大学とオックスフォード大学、そしてマッキンゼー社の研究者たちが長年の歳月をかけて解明した、人生の様々な成功を決める「能力」について詳細に報告されており、人々の、それぞれの分野での成功と偉業達成の秘訣は「才能」よりも「やり抜く力」が重要であることが科学的に究明されています。

ちなみに、「やり抜く力」は、「情熱」と「粘り強さ」の二つの要素から成るといわれており、「情熱」は、自分の最も重要な目標に対して、興味を持ち続け、ひた向きに取り組むこと、「粘り強さ」は、困難や挫折を味わっても諦めずに努力を続けられることと定義されています。

 現代の様々なジャンルで活躍する人々を見ても、あるいは過去の偉人たちの伝記などをひもといてみても、確かに「情熱」と「粘り強さ」の二つの要素が彼らの人生を大きく成功に導いたことは想像に難くありません。

例えば、長い歴史を持つ西洋クラシック音楽の世界においても、何百年も聴き継がれる名作を残した作曲家たちの多くは、やはりこの「やり抜く力」を有していたと考えられます。 今回のコラムでは、バロック期のドイツで生まれ、活躍した 2 人の大作曲家、すなわち、 1685 年にアイゼナハで生まれ、1750 年ライプツィヒで亡くなったヨハン・セバスティアン・バッハ、そして、奇しくも同年 1685 年ハレで生まれ、1759 年ロンドンで亡くなったジョージ・フレデリック・ヘンデルの人生のある時期を振り返り、いかに彼らが努力の人であったのかを俯瞰してみたいと思います。

ヨハン・セバスティアン・バッハは生涯ドイツを離れることなく、ローカルな作曲家として人気を博しました。一方、ジョージ・フレデリック・ヘンデルはドイツ国内に留まることなく生涯の 3 分の 2 をイギリスで過ごし、最終的にはイギリスに帰化、世界的名声を獲得し ています。

両人とも幼少から非凡な才能を発揮し、若くして相当の名声を獲得したと言われます。確かに彼らの音楽は 300 年以上を経た現代も世界各地で演奏され、愛好されています。作品によっては、それがバッハやヘンデルの作品とは知らなくてもその音楽や旋律は聴いたことがあるという人も多いことでしょう。

一般的にはバッハとヘンデルは並び称され、比較して語られることが多い作曲家ですが、実は彼らの音楽の印象は、その生き方を反映する様に随分異なります。

二人はもちろん天賦の才を与えられた才能豊かな人であったことは間違いありません。ただし、彼らの音楽が時代と地域を超えこれだけ聴き継がれるのには、単に才能だけでなく、それぞれに相当な努力があってのことだということを忘れてはなりません。

ヨハン・セバスティア ン・バッハ

バッハの、一挺のヴァイオリンや一挺のチェロのための音楽はあくまで自己を振り返り、ある時は自らへの戒め、そしてある時は自身へのご褒美として創作されたものではないかと思わせるほどの峻厳さに満ちています。一方、同じヴァイオリンやチェロでも、伴奏楽器、 ピアノやチェンバロなどが付随する作品は、とてもリラックスした表情を持ち、あくまで他人との逢瀬、すなわちコミュニケーションを愉しむために創造されたもののように思われ ます。

※参考音源

・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第 2 番ニ短調 BWV1004

・J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第 1 番ト長調 BWV1007

・J.S.バッハ:2 台のヴァイオリンとハープシコードのためのソナタハ長調 BWV1037

・J.S.バッハ:チェロ・ソナタ第 3 番ト短調 BWV1029

例えば、これらの傑作が生み出されたケーテン時代(1717-22)。ケーテン侯レオポルトがバッハを宮廷楽長に招聘したのは 1717 年 8 月のことですが、すでに相当の名声を獲得していたバッハにとっても、それは更なる名誉でした。レオポルト侯がバッハの信仰していたルター派ではなくカルヴァン派であったということが理由で、教会音楽がほとんど作曲されなかったという問題もありますが(レオポルト候はどうやら純粋な宗教体験にはむしろ音楽など邪魔と捉えられていたようです)、レオポルト侯に音楽家をみる目(音楽を理解する耳)があったことが幸いし、破格の年俸で雇われたバッハは、音楽に精通した君主のもとで、開放的でかつ活き活きとした音楽を紡ぎ出すことに成功しました。

この時期にバッハによって創造された数々の世俗作品は厳しさと柔らかさを合わせ秘める、そんな様相を示した音楽たちで、中でも無伴奏ヴァイオリン・ソナタ & パルティータや無伴奏チェロ組曲は何とも近寄りがたい神々しさを放っています。もちろん奏者の解釈によってそれらは全く違った音楽に変貌するのですが、それでもヴァイオリニストやチェリストが自ら向き合うことで、つまり自身の鏡として音楽を創出するという意味においては彼らの「人生」がまるで浮き彫りになるような厳しさがあるのです。その意味では、無伴奏作品は演奏者にとってはとても「怖い」作品群なのでないかと私は考えます。

 実際、数年前に昭和女子大学人見記念講堂で聴いたマキシム・ヴェンゲーロフのパルティータ第 2 番ニ短調 BWV1004 は、いかにも復活直後のヴェンゲーロフの思いを表出する音楽で、深い呼吸と余裕のある音作りに溢れたものでした。微動だにしない悠々たるテンポと、芯のしっかりした地に足の着いた堂々たる解釈。いかに彼がそのとき幸せであったのかがわかり、人としても自信と確信に満ちているんだということが即座に理解できるものでした。

ただし、音楽の解釈というものは人それぞれ好みがあるもので、おそらくああいうスタイルを求める人もいれば、終盤に向かって(例えば)アッチェレランドをかけていくようなもっと厳しい表現を良しとした人も聴衆の中にはいたかもしれません(特にソロの場合は聴衆各々の趣味というか感性によって判断がまちまちになるのが面白い。それがまた記号化されたものを頼りに、しかもバッハの時代の頃はほとんど奏者の感性や力量に任されていた精緻でありながら曖昧な(?)譜面から音楽を再生していくのだからな面白いのです)。音楽というのは、弾き手の思考や感覚によっていろんな解釈が選ばれ、そしてそれがいかにも説得力を持って再生されることが奇蹟的なのです。

 

ちなみに、ケーテン時代のバッハの身辺に起こった最悪の事態は、1720 年、自身の留守中に愛する妻マリア・バルバラが急逝したことでした。失意のどん底に突き落とされたバッハはしばらくは作曲のペンすらとれなかったと言います。しかし、そこはさすがに「やり抜く力」を秘めたバッハだけあり立ち直りも早く、わずか 1 年余りで新たな妻、すなわちアンナ・マグダレーナを得、彼女の献身的な協力もあり、その後はよりバッハらしい新たな挑戦的な作品を生み出すことができるようになったのです。

 

バッハの器楽作品は宗教的なものとは別の観点で作られているのでしょうが、どの作品を聴いてもそこに「神が宿る」という印象は変わりません。とても人間が作り出した代物とは思えない精緻さと官能とがあるのです。ちなみに、晩年、バッハは次のように語っています。

 

「私はとても勤勉でした。私のように勤勉だったら、誰だって私のようになれるでしょう」

 

もちろん彼の成功は先天の才能あってのものであることに違いはありません。しかし、彼のこの言葉通り、精密画のような譜面の制作とあわせ、美しい音楽の作曲は幼少の頃からの大変な努力の賜物であり、その積み重ねの上に成り立っているものだということを私たちは忘れてはなりません。その意味ではバッハは極めて人間らしくありながら、それでいて宇宙的規模の視点で物事を見、かつ考えられた優れた思考とバランス感覚を持った人だったのだと思うのです。